Get Over 4





「赤也が風邪?」 

放課後の練習時に柳は赤也が風邪を引いて休んでいると聞かされた。

昨日のことがあって本音では赤也に会いたくないと思った矢先のことだった。 

「以外ですね、貴方が知らないとは…」 

 隣にいる柳生が静かにいう。確かに普段であれば柳が真っ先に情報を得るのだが。 

「…昨日は雨だったからな」 

「そうですね。お見舞いにいくのですか?」 

 柳生はいつもと変わらない口調でいう。

柳はその問いに答えることができずにただ、無言のまま遠くを見つめていた。


 
「…今日で四日目か…」
 
 幸村は病院の屋上で蒼い空の彼方をみつめながら、ひとりつぶやいた。

真田が合宿に行ってからの日数である。彼は彼で柳のことを心配していた。
 
 真田なしで一週間を切り抜けられるのか。ということを…。

離れていても二人は大丈夫だということを幸村は知っている。

一年からずっと見てきたから。

でも、そこに第三者が介入してきたらどうなるのか。 

それが二人のよく知っている人物で、熱すぎる想いを胸に秘めているとしたら…。

不安定な柳の精神は揺れるはずだ。いや揺れるまでいかないが、苦しむ。
 
 本当に無関係な他人や知人の類ならば、柳は冷徹なほど無関心なのだが、

その枠を超えた信頼と思いがある人物ならば、話は別だった。 



――――切原赤也――――


柳と真田。もちろん幸村を含む先輩たちは後輩である彼を可愛いと思っている。

しかし、柳は他人のそれ以上に赤也に対して思い入れが強い。

赤也自身が真田と柳を特別に慕ってくるのもあるだろうが、

傍からみると甘やかしていると感じる部分もある。 

 その赤也が柳に対して恋愛の感情を持っていることを幸村は気づいていた。

もちろん柳も仁王も気づいているはずだが、柳の場合はそんなことはないと思っているだろう。 

「柳…ダメだよ。甘やかしては…後輩だっていってもね…」 

 幸村は再び、静かにつぶやいた。 




「はぁ…」 

 柳は部活をいつもより早く切り上げ、赤也の見舞いにいった。

昨日の雨のせいで風邪を引いてしまったのなら、半分は自分のせいだろう。とおもう。

 もちろん、赤也が抱きついたりしなかったら、そうなってはいなかったのかもしれないが、

昨日のことがありあまり乗り気ではなかった。 

 本当ならいきたくなかったのだが、

過保護のように、赤也に何かあると見舞いにいっていたことが裏目にでてしまった。 

真田がいない今、恋愛のごたごたで仲間に心配をかけさせたくなかった。
 
 これは自分の問題なのだ。柳は歩きながら、そう決意した。 

重い足をひきずって、柳は赤也の家の前にたどり着いた。
 
 インターホンを鳴らすと、母親がでてきた。

母親は軽く挨拶をすると柳を家の中に招きいれた。 

 赤也の部屋の前で柳はノックをした。
 
「赤也、俺だ、入るぞ」 

「柳先輩、来ちゃ駄目っス、帰ってください」 

 ドアが半分開いたところで、赤也の声が部屋にひびいた。

薄暗い部屋のベッドに赤也は腰を下ろしている。元気そうだったが悲痛な声を出す。 

「赤也?」 

 柳はドアを閉め、電気をつけた。

パッと薄暗い部屋に光が灯り、一瞬その輝きがまぶしかった。
 
「どうして、来たんスか…?」
 
 赤也の顔は少しやつれているような気がした。

それが風邪によるものなのかは柳には判別できなかったが、

明らかに柳を帰らせたがっていることはわかった。 

「風邪は大丈夫なのか」 

「先輩、…俺が怖くないんスか…?」 

 赤也の言葉に昨日のことが柳の脳裏によみがえる。

無意識に近づこうとした体がとまる。
 
「俺…もう抑えられないんスよ。おかしくなりそうで……」 

 赤也は両手で頭や顔をおおう。 

「先輩、俺が冷静でいるうちに帰ってください。
俺…、真田副部長にも柳先輩にも嫌われたくないっスよ。だから……」
 
 初めて見せるだろうか、赤也のそんな弱気な言葉。

普段の彼からは想像がつかない姿。 柳は恐怖もあった。

昨日のような攻撃的で一途な彼に。 

それでもそんな彼を自分が苦しめている要因だということに心が痛む。

 そして…後輩として愛しい気持ちも浮かぶ。

そんな複雑な思いが柳はその場を離れることに躊躇していた。
 
「赤也、少し休むといい」 

 柳は赤也に布団をかけようと近づいたその瞬間、赤也の手が柳の手首をガシッとつかんだ。
 
「赤也?」

 柳は恐怖で顔がこわばった。

昨日の悪夢がプレイバックする。

心臓の鼓動が音を立てて刻みだす。 

「先輩……もう帰さないよ……」 

 掴まれた手首に赤也の力が増す。口調も雰囲気もガラリと変化した赤也がそこにいた。 


――目が――


赤也の目は充血していた。

柳はその場から逃げようとしたが、赤也の手がそれを許さなかった。
 
「帰ってくれって…いったでしょ?それとも…期待してたんですか、先輩?」 

「赤也」 

 普段は真田がいることで抑えていた感情が、

その支えがなくなったことで、赤也は感情の抑えが効かなくなった。

それは性格面においても攻撃性を増し、その攻撃的な性格が前面に押し出される。

抑制できなくなった感情が充血をもたらした。

「先輩…俺、マジでアンタを手に入れるよ…」

 赤也は柳を自分の方に引き寄せると唇を重ねた。

強引で優しさもない荒々しいくちづけだった。

「ん…や…めろ…」 

 もちろん、柳も必死の抵抗をした。

以外と赤也を押し返すだけの腕力を持つ柳だったが、

攻撃性を増し、ガッシリと押さえられた手首と腕は簡単に解けそうもなかった。 

赤也はそのまま、くちづけを重ねたまま柳を押し倒した。

柳の白い肌が露出され、赤也の熱を持った手が、指が触れる。

「柳先輩……真田副部長よりも…アンタが好きだ…」

 赤也の爪が柳の白い肌に食い込む。 

「忘れさせてやるよ……先輩…」 

 赤也が柳の肌に顔を近づける。

少しづつ爪が食い込む痛みが柳の身体全体を走った。

「やめ…ろ……赤也っ!」 

 爪が食い込む。湧き出た赤い血が赤也の爪を染める。

痛みがじわりとゆっくりと柳の精神を追い詰める

「あ…か…や……」 

 そして、柳は痛みで意識を失った。



しばらくして、柳は目を覚ましたが、部屋には誰もいなかった。

赤也の姿もない。衣服が乱れ、胸に刻まれた傷だけが痛々しく、残っていた。

「赤也」 

 柳は衣服を整えると自分の荷物を抱え、その家を後にした。

外は薄暗く少し、肌寒かった。


――弦一郎…俺は――


柳は空を静かに見上げた。


「あ、柳君」

赤也の家を出て、すぐに赤也の母親に出会った。

「お願い。一緒に探して! 赤也が家を飛び出したまま!!」

赤也の母親は気が動転して、何が言いたいのか上手く言えずにいた。

しかし、柳は大体のことがつかめた。

「あの子、熱があるのに…」

母親はついさっきまで赤也が行きそうな場所を探していたようだが、

それでもまだ、見つからずにいる。柳は赤也が行きそうな所を思い描いた。

「あ…」

柳の脳裏にふと、思い出した場所があった。

その柳の表情の変化に赤也の母親は柳にいう。

「あの子の行きそうな場所わかるの?」

「…確信はないですが、多分」

言葉が終わる前に赤也の母親はその場から歩こうとした。

それを柳が引き止めた。自分が行くから、家で待っていてください。と、告げた。

居てもたっても居られない母親はしぶしぶ、承諾した。

「柳君、赤也を頼みます」

柳はうなずくと、その場を走り去っていった。


隣の駅…正確には赤也の家から30分程にある空き地。

もともと、ストリートテニス場があった場所。

赤也が穴場だと言って通い続けたところだった。

テニスコートが取り除かれる時、柳と赤也の二人はその場所を訪れたことがあった。

『先輩、ここ俺がよく通っていたところっスよ』

そう言った赤也が少しさびしそうだったのを覚えている。

そして、初めて赤也が柳に好き≠ニ言った場所でもあった。

あの時は冗談かと柳は思っていた。

しかし、それが冗談ではなかったことは赤也の真剣な目を見れば分かった。

だが、そのときは柳には真田がいた。

『赤也…俺には弦一郎がいる』

『そんなの…関係ない。俺はただ…柳先輩が好きだから』

 そう言って、赤也は笑みをこぼした。

赤也が二年。柳が三年になったばかりの頃のことだった。



「赤也!」

予想通り、赤也はその場所にいた。

ただ、ベンチにグッタリと横たわっていた。柳はすぐさま、駆け寄って赤也を抱え起こした。

「赤也、大丈夫か?」

 息が荒い。熱が出てきたようだ。

柳はバッグから携帯している水の入ったボトルを取り出すと、それを口に含んだ。

そして、赤也に口移しで飲ました。

 ごくんと、しっかりとした音が聞こえた。

「赤也、しっかりしろ」

「…や…柳先輩…?」

赤也はうっすらと見える人影を確認する間もなく、再び意識の奥へと引き込まれていった。




 翌日、赤也は目を覚ました。

 日の明るさが眩しかったが、段々とそれは覚醒するに従って、慣れてきた。

「俺の部屋?」

 紛れもなく、自分の部屋。

何があったのだろうと考える間もなく、ドアのノックが響く。

「起きた、赤也?」
 
その声が終わる前にドアが開かれ、母親がトレイを抱えて入ってきた。

「赤也、お腹すいたでしょう?学校へ行けるようになったら、柳君にお礼言っといてね」

「え?」

「覚えていないの? 昨日、外に飛び出した挙句、熱で倒れた貴方をここまで運んでくれたのよ」
 
赤也はそれを聴いた瞬間、胸の奥が熱くなった。

今すぐ飛んでいってお礼が言いたい衝動にかけられる。

「赤也、今日は一日休んでなさい」
 
母親はそういって、トレイをベッドの横の台に置くと、部屋を出て行った。

「先輩」

 赤也は誰も居なくなった部屋で一人、頬をぬらした。



 プルルルル…

部活中。柳の携帯が鳴る。

丁度、練習が一段落した柳がベンチに戻ってきた。

そのベンチには柳生が座っていた。柳はタオルで汗を拭ったあと、電話に出た。

『柳先輩…赤也っス』

柳は一瞬、昨日のことを思い出した。赤也が倒れたことも、その前の出来事も。

「赤也、風邪は平気なのか?」

一瞬、二人の間が空いたが、柳は冷静にそう言った。

『あの昨日はありがとうっス…それと…すいませんでした。
俺昨日どうかしてたっス…傷…大丈夫っスか?』

赤也は申し訳なさそうに言葉をつなげた。柳は無意識のうちに、胸の傷赤也につけられた傷に手を当てた。

柳の顔がほんの一瞬だけ、苦痛に歪んだ。

「赤也、大事に至らなくてよかった」

『先輩、今練習中ですよね。じゃぁ、俺切ります』

「あぁ、じゃあ、またな」

 柳は電話を切った。


――――赤也――

柳の脳裏には赤く染まった赤也しか思い出せなかった。

「柳君…」
 
ベンチの前でたたずむ柳に、そこに座っていた柳生が声をかけた。

柳は一瞬、反応が遅れた。

「…たまには…誰かに相談するのもいい事だと思いますよ」
 
柳生はその一言をいうと、コートへと向かってしまった。柳はそんな気遣いが嬉しかった。



 その夜。真田から電話が来た。

しかし、柳は電話には出なかった。胸の傷が痛んだ。

 本当は怖くて、仕方がない。

この先、どうやって赤也と接していけばいいのか、わからない。

それに自信がない。

 いつか、過ちを犯してしまいそうで自分自身怖かった。

柳は真田が好きだ。それは偽りではない。


赤也も好きだ。それは可愛い後輩として…だ。でも、後輩だから、強く求められたら…。

ましてや、昨日のような赤目になったら…そう考えると怖かった。

 電話に出ないのも、昨日の負い目から、真田に申し訳ないと思う。

 この傷は、罰なのだろうか。柳はそんなことを考えた。


『甘やかしたら…駄目だよ』


 幸村の言葉。本当に柳は赤也に甘いと思った。


――弦一郎…俺を…抱きしめてくれ――――


五日目の夜はもう、更けようとしていた。




つづく




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